aM

カナイ・ヒロアキ , タザワ・コウダイ

 2005年2月26日のラストLIVEをもって惜しくも解散したスーパーカーのドラマー:タザワ・コウダイと、初期スーパーカーを手がけ、プロデューサー/クリエイターとして活躍中のカナイ・ヒロアキによる、エレクトロ・バンド“aM(アム)”。

数々のフェスティバル、クラブイベントでクラウドを熱狂させ続けるaM。それは、ロック/テクノ/ハウス/エレクトロ/サイケデリックを、彼らの“歌ごころ”で紡いだ、クールで美しく、ドリーミィーでいてどこかノスタルジックな、魔法のエレクトロ・ポップ・ミュージック。

<Before_aM>
1996年5月 カナイの手元には一本のデモテープ
ここからすべてが始まった。
スーパーカーと知り合ってから、1998年の彼らが上京するまでの間、打ち合わせといっては彼らと遊ぶためにカナイは三沢空港からの十和田市までの道を地図を見なくても迷わずたどり着けるくらい何度も何度も青森に通う。
そんなある日の八戸から青森までの車の中「コウダイさぁ. いつか二人でなんかやろうぜ!」なんてことを大して強い意志もなくなんとなく話したことだけは不思議と二人とも覚えていた。

2001年初め。スーパーカーのデビューから3rdアルバム 「futurama」までをプロデュース(正確に言えばシングル「storobolights」まで)してきたカナイは次の活動の構想のため約2ヶ月NYでのプリプロ滞在を決める。ナカコウ、コウダイ、カナイの3人だけの旅.。大きな倉庫のような部屋を借りて、そこに一通りの機材を並べ、何かが出てくるのを待った。小さなクラブでスーパーカー名義でのいくつかのライブもブッキング、そこで鳴らされたのは聞いたことのないエレクトロインスト。音楽について何も知らなそうな黒人に「オマエらはかっこいいからカリフォルニアに行け.」なんて言われたりして、ちょっとうれしくなっていた。

日本に戻りこの変形スーパーカーでのライブは奇跡的に新宿リキッドルームと渋谷NESTで行われる。しかし、そのあとスーパーカーの現場をカナイが離れたため、この3人の貴重な経験はそのまま封印されてしまう。

2001年8月 とあるアーティストのreMixを頼まれアイデアに困っていたカナイはコウダイに電話をする。共作することにはなるが、出来上がりはまるでreMixとは思えないアーティスティックなものに。でもこれがファースト・アルバム「cross_the_circle」の原型。お互いの新しい可能性を感じた二人はエレクトロ・バンド「Flava(フレイヴァ)」を組むことに。

こうしてカナイ・ヒロアキと、タザワ・コウダイの活動はスタートした。


Discography

2nd album 「KNEwwaVE(ニューウェイヴ)」

1. KNEwwaVE 2. the_boxer 3. satellites_love_eachother
4. apes_shake 5. co.roma 6. dawn_tokyo 7. roswell's_rights
8. star_of_india 9. sundance 10. go_to_happiness
11. terror_rhythm 12. keep_on_grooving

WRCD-32/ 05.10.19 / 2,800 yen(tax in)



wonderground以外のリリースを含むディスコグラフィーは、aMオフィシャルサイトで。